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  • 2020.4.2[Thu]
  • 公開日:2022.6.2[Thu]

カモンアップ社長・永瀬泰子(ながせ・やすこ)独占インタビュー(パート①)

「 有限会社Come on UP 」は、まだシェアハウスという言葉があまり知られていなかった2006年に設立し、東京・恵比寿で第1軒目のシェアハウスをスタートして13年。関東・関西で数十軒のシェアハウスをもつ現在に至るまでにどんなドラマがあったのでしょうか、またこれからをどう見据えているのでしょうか。永瀬泰子社長にお話を伺いました!

学生時代や会社員時代はどのように過ごされていたのですか?

10代でアメリカへ、シェアハウス文化に触れる

私は高校1年生、16歳の時からアメリカに留学し、8年間、向こうで過ごしました。

高校卒業後は、スピルバーグやルーカスなどの映画人、スポーツ選手などを多く輩出している大学である、南カリフォルニア大学へ進学しました。

外国では、友達同士など、家族以外の人と一緒に暮らすことは普通のこと。私自身も、アメリカ時代は常にルームメイトとの共同生活でした。私にとって、暮らしをシェアすることは、10代の頃からすでに当たり前の感覚だったのです。

アメリカに行って一番驚いたのは、教育。日本と違うのは、ただ知識を吸収するだけではなくて、「あなたはどう思うか?」「この先どうなると思うか?」といったことについて自分で考えて発言し、ディスカッションすることを重視している点です。

ある時、先生から「ヤスコはよく勉強しているけれど、質問が足りない」と指摘されたことがありました。アメリカでは、質問することも評価のひとつになっているのです。

人生を変えた9・11

その頃は「ドットコム・ブーム」とも言われる、ITバブルのど真ん中。私自身も一攫千金を夢見て、マンハッタンのワールドトレードセンターから歩いてすぐの会社に就職しました。ところが、私はそこで、世界の運命を変える悲劇の瞬間を目撃することになります。

朝起きて会社に出かける準備をしている時、それが起きたのです。

家の窓の外を見ると、景色がいつもと違う。血を流しながら必死で逃げ惑う人々。焼けたコンクリートの匂いのする空気。街から犯人を逃さないようにするため、マンハッタンは完全に封鎖され、不気味な静けさに街は閉ざされていました。いつもはサイレンの音や子供達の遊ぶ声でうるさい街なのに。

「9・11」と呼ばれる、あの爆弾テロ事件の場面に、私は居合わせたのです。私はその日、朝11頃に出社する予定でしたが、もし出社する時間がもう少し早かったらどうなっていたか?…考えるだけでもぞっとします。

「 人って、今日死ぬかもしれないんだ 」

そのことに突然、気が付きました。「 死 」をはじめてリアルに意識した瞬間でした。いつ死ぬかわからないとしたら、その時までに何をやり残すかが大事だ。ただ何も考えず楽しく生きているだけではいけない。そして、ハッとしました。「 私、まだぜんぜん親孝行をしていない 」

それに気づいた私は、アメリカンドリームを諦め、日本への帰国を決めました。

9・11は、世界の運命を変えた日であるとともに、私の人生を変えた日でもありました。あの日以来、私は常に「 今日が最後の日かもしれない 」という気持ちを持って毎日を過ごしています。

パナソニックに就職、企業改革に乗り出す

23歳で帰国した私は、「 せっかく帰ってきたのだから、超ジャパニーズな会社に行こう 」と思い、パナソニック株式会社に就職しました。

アメリカから帰ったばかりの私には、日本で見るもの聞くものすべてが物珍しく、面白くてしかたありません。800人の同期とともに入社したのですが、みんなおそろいの服装、右向け右でおんなじ動き。これはすごい!ちょっとしたイタズラ心が出て、次の日は赤いシャツを着て会社に行きました。「 どこまでやったら怒られるのかな?」という好奇心に導かれ、髪色を明るくしていって、金髪にまでしてみたりもしました。

ところが、私が「アメリカ帰り」だったせいなのかわかりませんが、誰も何も言いませんでした(笑)ちょうど「ダイバーシティ」などの言葉も出始めた頃で、個性的であること、人と違っていることに関して寛容な空気があったと思います。

さて、この会社で私に与えられたポジションは「改革者」。社内の既存の慣習や制度の悪いところをどんどん変えていく「破壊と創造」の役目を仰せつかったのです。人事部は、アメリカで学んだという一風変わった私の経歴と、空気を読まないでバシバシ発言するキャラクターを買って、私を採用してくださったのです。「思うようにやっていい」と言われたので、「はい、喜んで!」と、自由にやらせていただきました(笑)

業務以外の改革もしました。例えば、飲み会の時の席決め。その頃は、まだ昔ながらの風潮が残っていて、「お偉いさんの隣は女子社員」という暗黙のルールが決まっていました。私は、お酒を飲んで色々普段聞けない話が聞ける「飲みニケーション」は好きだったのですが、この風潮には違和感を覚え、「変えた方がいいと思う」と上層部に提案しました。お偉いさんの腰巾着からは睨まれましたが、私の発言がきっかけで、この「暗黙のルール」はそれからは廃止になりました。


社長の意外な過去が知れる貴重なインタビューでした。

9.11とは違いますが、今回のコロナ騒動をキッカケにして、私たち1人1人の心境も変化していくのではないでしょうか?

次回、独占インタビューパート②では、有限会社Come on Upの立ち上げについてお話を伺います。お楽しみに!