ライター自己紹介・ニャンスキー〜迷いながら、頼りながら、東京で暮らしていく〜

初めまして。ニャンスキーと申します。

最近、縁あってカモンアップのシェアハウスにやってきました。

実家を出てから10年以上になりますが、これまで、定住することがあまりできなくて、東京、熊本、京都…と、あちこちさまよっていました。いろんなシェアハウスにもお世話になってきました。

そんな私のこれまでの話を書いてみようと思います。よろしくおつきあいください。


はじめての東京で、一人暮らしの孤独に震える

私は静岡県生まれ。富士山のふもとの小さなまちで育ちました。

大学進学と同時に上京して、何の疑問もなく一人暮らしをはじめたのですが、世間では「当たり前」と思われている一人暮らしの生活は、私にとって、あまりに退屈で、孤独で、まるで牢獄にいるかのように苦しいものでした。

「なぜか?」と今振り返ってみると、

・誰かとの繋がりがつくれなかったこと

・暮らしに必要な知識や能力がなかったこと

それまで親からあたえられていたお金や愛情や居場所(のようなもの)の補給のしかたをほとんど教わらないまま世にでてしまったこと

が、大きな原因だったと思います。

まるでハンティングの方法を習わないで親から離れた野性動物みたいな状態。

まともな暮らしなんてできるはずもなく、あっというまに生活は破綻していきました。

自ら家賃6万円と光熱費払って牢獄みたいな暮らししてるんなら、牢獄の方が無料な分ましなんじゃないか・・・?とまで思ってました。

身も心も栄養不足のまま、東京の片隅でミイラ化してしまいそうな、心細い日々でした

 

シェアハウスという解決。有料牢獄からの脱出に成功

そこで必死に打開策を求めていたら「シェアハウス」というものがあるらしいと知り、すぐに見学に行き、入居を決めました。

いきなり他人と住むなんて、人見知りで引っ込み思案なタイプの自分にはできないんじゃないかと思ったけど、そんなこと言ってられないくらい切実な状況だったのです。

家賃も安いし、今まで知り合うこともなかったような人と話せたことが面白くて、元気を取り戻し、干からびきったミイラに血液が再びめぐっていきました。

 

東京下町でシェアハウス暮らしを満喫。もうひとつの「東京」を知る

シェアハウスの場所は、浅草の吉原という日本最大のソープランド街の近所でした。

駅までの道は、浅草寺の参道を通って、毎日賑やかで東京らしい風景。田舎のものの私は、テレビで見る、いかにもな「東京」に浮かれていました

一方で、夜になると、路上で寝ているおじさんがちらほらいたり、商店街の片隅にいつもキャリーバッグをもって立っているおばあさんがいたりしました。

テレビには映らない、もうひとつの「東京」も知ることになったのです。

「あのおばあさんはなぜ、いつも同じ場所に立っているの?」と同居人に訪ねると、「街娼だよ」と教えてくれました。

知識としては知っていたけれど、街娼を生業にしている人なんて昭和時代にしかいないものだと思っていたので、大きな驚きとショックを感じたことをよく覚えています。

さらに言うと、浅草の任侠映画ばかりやっていた名画座は「ハッテン場」だったそうで、そこに映画を観に行った同居人の話もなかなか刺激的でした。

その後、スカイツリーがたち、オリンピックを控え、ハッテン場だった映画館はいまはもうありません。路上で寝ていたおじさんたちや、街娼さんたちは、ピカピカに漂白された街にもういないのかもしれません。

隅田川が近くて、川原でたまに楽器を練習してたら、ホームレスのおじさんが花壇の花を摘んで励ましてくれたこともありました。

「練習すればきっと一年後にはうまくなるよ」って励ましてくれたけど、結局すぐ挫折しました。ごめんよおっちゃん。でもその日のことは忘れてないよ。花壇の花は摘んじゃダメだと思うけどありがとう

 

多様な文化的背景を持つ人たちの集まる場所

シェアハウスのオーナーさんは、世界を旅していた旅人でパティシエでした。

同居人には本当にいろんな人がいました。

風俗嬢、料理人、考古学の研究資金のためにフランスの軍隊に入ろうとしている学者、パンク好きの介護師、アーティスト、フリーター、将来に悩む若者、なんにもしてなさそうな人、デザイナー、等々。

もちろん、文化的な違いから摩擦が起こることも度々ありました。

いいことばかりではもちろんなくて、結構きついときもありました

それが私のはじめてのシェアハウス暮らしでした。

 

「自立とは依存先を増やすこと」

子供の頃から「自立せよ」と親からしきりに言われて育ったのですが、その言葉を聞くと、なぜだかとても恐ろしい気持ちになりました。

自立=「誰にも頼らず自分の力だけで生きていくことだ」としたら・・・寒くて荒れ果てた野原をひとり歩いていかなくてはならないかのよう。

途方に暮れて、はにわみたいな顔をして立ちすくむことしかできませんでした。

その後、脳性まひを持つ小児科医、熊谷晋一郎さんの「自立とは依存先を増やすこと」という言葉を聞いた時、目から鱗でした。

今までさんざん言われてきた「自立」と全く逆で、依存先を増やして生きることが自立なのだとしたら、自立できそうな気がしました。

人と共に暮らすこと、人と繋がることには煩わしさが伴います。

その面倒を避けて、繋がりを持たずに暮らすことは、気楽で安全だと思っていたけれど、繋がりのないなかで生きることは、実際にはしんどくてリスクの高い生き方だなと思うようになりました。

 

迷いながらも、とりあえず進むしかない

わけもわからず世の中に放り出され、人生のほとんどの時間、迷子でした。そして今もキープオン迷子です。
最初は「迷子の迷子の子猫ちゃん」だったのですが、迷子歴長すぎて、もはや、迷子の妖怪猫又に進化をとげてしまった感じです。

もっとかっこいいいきものになりたかったけど、現状、そんな感じです。

これからまた、右往左往していくと思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

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